「倭は国のまほろば たたなづく青垣・・・」と詠まれた山々の裾を「古事記」や「日本書紀」の時代から「山の辺の道」と呼ばれた道が続いており、「万葉集」にはこの道にまつわる多くの歌が詠われています。
「山の辺の道」にはそれらの歌が刻まれた万葉歌碑が点在しています。
今回は三輪から天理までの「山の辺の道」を三回に分けて、大阪市立大学の古代文学研究員 岡田氏のご案内で万葉歌碑を訪ねて歩きます。
山の辺の道を大神神社の神宮寺「大三輪寺」を前身とする「平等寺」から、本殿を持たず背後の三輪山がご神体の「大神神社」、大神神社の摂社で“薬井戸”という霊泉が湧いている「狭井神社」、天照大神をしばらく祀ったとされ“元伊勢”と伝えられる「檜原神社」まで歩きながら、点在している万葉歌碑を巡ります。その後「ホケノ山古墳」、卑弥呼もしくは後継者の壱与の墓とも言われている「箸墓古墳」、今話題の纏向遺跡などがある巻向へ向かいます。